梓の非日常/第七章 テニス?
梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた
(三)テニス? 女子クラブ棟、女子テニス部部室兼更衣室。 空手の稽古を終えて、制服に着替えている梓。 主将の木杉陽子が梓に話し掛けている。 「え? 新人対抗試合?」 「そうなのよ。一・二年生を対象にした試合でね。来週の土曜日が試合だからね」 「来週の土曜日?」 「で、いつから練習に参加する?」 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。試合とか練習とか、意味がわからないんですけ ど」 「だからテニス部の練習よ。テニス部入ってくれたんでしょ?」 「いつからそういう話しができちゃったんですか?」 「あら、幸田先生から聞いてないんだ?」 「聞いてません!」 「そっかあ……。幸田先生の音楽部に横取りされちゃったけど、あたし達の方が先に 予約してたのよ。覚えているわよね」 「ええ、まあ。そうだけど……」 「当然、あたし達にも権利があるわよ」 「何の権利ですか?」 「もちろん女子テニス部に入ってもらうわよ。幸田先生の許可も貰ってるし」 「どうして幸田先生の許可がいるんですか」 「あら、知らなかった? 幸田先生、女子テニス部の顧問をしてらっしゃるのよ」 「うそー!」 意外な事実に驚く梓。 「幸田先生が顧問という事は、もしかして」 「ええ。あなた達二人の女子テニス部の入部手続きは済んでるの」 「またなのお? いい加減にして欲しいわ。そういや、音楽部からの誘いがあった時、 テニス部からも勧誘があると言ったら、何ら反対しなかったのは、そういうわけだっ たのね」 「まあ、そういうわけだから。明日からでも練習に参加してね」 肩をぽんと叩いて部室を出ていく陽子。 「あ、ちょっと……」 呼び止めるが、聞く耳もたないといった感じですたすたと行ってしまった。 「まったく、先生も先生なら、キャプテンもキャプテンだわ。似た者同士」 「音楽部の部長もだよね。類は類を呼ぶってとこかしらね」 「なんで絵利香ちゃんは怒らないんだよ。……って、元テニス部だったんだね」 「うん。わたしはテニス部に入る予定だったから」 「ちぇっ! 貧乏くじはいつもあたしなんだ」 「で、どうするの?」 「知らないわよ」 スポーツ用品店のテニスコーナーを眺めている梓と絵利香。 ラケットを手に取り、素振りしながら品定めしている梓。 その側で商品説明している店員。 「篠崎スポーツ製、形状記憶ニッケルチタンラケットです……」 「ニッケルチタンねえ……」 「ニッケルチタンは、形状記憶力を持つニッケルに、弾性と反発力に優れたチタンと の合金素材です。両者の利点を合せ持ち、復元性・耐久性・耐蝕性をも増しておりま す。通常のグラファイトの二倍の反発性がありまして、グラファイト繊維との複合素 材として使用されています……」 「ふうん……。ありがとう。ところで、テニスウェアとかは置いてないの?」 「はい。レディース用のスポーツウェアは二階でございます。メンズ用は三階です」 「男女で階が別れてるんだ」 「はい。試着とかありますし、水着やレオタードを選ぶのに男子の視線があると恥ず かしいですからね。レディース用のフロアは全員女性店員で、安心してウェアを選べ ます」 「そういえば大概デパートとかも、二階もしくは三階が女性衣料品、その階上が男子 衣料品になってるわね。なんでだろう? 篠崎デパートのご令嬢の絵利香さん。ご存 じありませんか」 「わたしも知らないわ。慣習じゃない? たぶんどこかの老舗のデパートがはじめた ことがずっと続いているんじゃないかな」 「店員さん、ありがとう。今度はウェアを見に行くから」 「いいえ、どういたしまして。ごゆっくりとご覧くださいませ」 丁寧にお辞儀をして、二階へ上がる二人を見送る店員。 そんな店員を見ながら、不思議な表情の梓。 「ちっともいやな顔してないね。あれだけ説明させておいて結局買わなかったのに」 「うん。篠崎スポーツの方針でね。商品そのものを売るだけでなくて、情報提供も サービスの一貫としているの。今日は買ってくれなくても良い、いずれは必ず買って くれるようになる。それが本人とは限らないけど、その人から情報を得た人が買って くれるかも知れないでしょ。そんなわけで、篠崎スポーツ指定販売店様の従業員教育 は篠崎の研修施設で徹底的に行っているわ。その研修初日のメニューがスマイルよ。 ああ、そうそう研修施設といえば、たまに例の蓼科研修保養センターも利用させても らっているみたい」 「へえ、そうだったんだ」 スポーツ用品店を出てきた梓と絵利香。 「あれだけ熱心に商品説明を聞いてたから、てっきり買うのかと思ったわ」 「だってえ、お小遣いが足りないもの」 「何ならうちの製品をプレゼントして上げようか? 選手用に開発してる非売品でも いいわよ」 「いらない!」 「でもラケットとかテニスウェアがないとテニスできないよ」 「何言ってるのよ。あたし、テニス部に入るとは言ってないもん」 「そりゃまあ、幸田先生が勝手に入部手続きしちゃんだけど……」 「これ以上、幸田先生に翻弄されるのはごめんだから」 「じゃあ、なんでスポーツ用品店になんか入ったの?」 「後学のためよ。今どんな素材の製品があるのだろうか興味があったから。お小遣い で買える範囲なら、まあ持ってるだけてもいいかなって。意外と高かったから」 「店員が商品説明してたのは全部高級品ばかりだよ。梓ちゃんが新素材のはどんな の? って聞くから自然に高級品になったのよ。ビギナー用だともっと安いのある よ」
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