陰陽退魔士・逢坂蘭子/血の契約 其の陸
「さて、井上課長を呼びましょうか」
ミイラとなってしまった被害者を放っておくわけにはいかない。
救急車や警察を呼ぶわけにもいかず、ここは直接井上課長と連絡を取った方が良い。
懐から携帯電話を取り出して井上課長に連絡する蘭子。
十数分後に井上課長が、鑑識を伴ってやってきた。
「二体目のミイラか……」
頭を掻きながら、地面に伏している遺体を検分する井上課長。
蘭子は事件の詳細を報告した。
「なるほどね」
呟いたかと思うと、内ポケットから煙草を取り出した。
どうやら癖になっているらしく、頭を抱えるような難問に遭遇した時、無意識に煙草を
吸いたくなるようだ。
「ペストとか、病変ということで処理できませんかね」
いつも腰巾着のように付き添っている若い刑事が提案した。
このミイラ化の状況をペスト(黒死病)で片付けようというつもりのようである。
「それこそ大変なことになるぞ」
ペストには幾つかの病型があるが、その中のペスト敗血症は黒死病とも呼ばれ、罹患す
ると皮膚が黒くなり、高い致死性を持っている病気である。十四世紀のヨーロッパで大流
行し、全人口の三割から六割が命を落としたという。
その他の病型には、腺ペスト、肺ペストなどがあるが、いずれも発病して2日から1週
間以内に死亡するという。
「だめですかね……。エボラ出血熱とか」
「まあ、一考の余地はあるがな。妖魔とかよりは現実味が出るが、ペストの流行か?なん
て報道が出たら大騒動になるぞ」
天を仰ぐようにして煙草の煙を一気に吐き出す井上課長。そしていつものように携帯灰
皿に吸殻を入れる。
「仕方がない。病変という線でいくことにするか……。それが一番妥当だろう」
「そうそう、そうですよ」
「問題はこの爪痕だな。これをどう説明するかだ」
「獣に爪を立てられて、傷口から菌が浸入したというのは?」
「ううむ。ちょっと無理があるな。どう見ても人間の爪痕だと判るからな」
「困りましたね」
「ああ……」
いくら考えても答えは出ない。
堂々巡りの繰り返し。
翌朝。
阿倍野女子高一年三組。
いつもの授業前のひととき。
再び起こったミイラ化変死事件の話題で盛り上がっていた。
そこへ順子が入ってくる。
昨夜のことは、まるで覚えていないようである。
また一段と美しくなっていた。
「おはよう!」
お互いに挨拶を交わしながら、世間話に花が咲く。
「またミイラ化した遺体が発見されたわね」
「やっぱりインカ帝国のミイラを誰かがばらまいてんじゃないの?」
「日本人でしょ」
「知らないの? インカの民も日本人も、同じモンゴロイドだから、ミイラ化しちゃった
ら区別なんてつくもんですか」
「でも、ペストとかエボラ出血熱とか、未知の病原体に感染した可能性があるというのが、
新たに発表されたわよ」
順子はそんな会話を教室の片隅で聞いていた。
引っ込み思案な性格までは、そうそう簡単には変わらないようである。
クラスメート達も、いきなり美しくなったことで、声を掛けづらい一面もあった。
やがて授業がはじまる。
そして最後の国語の授業が終了した時。
国語及び古文を担当する土御門弥生教諭が順子と蘭子を呼び止めた。
「佐々木順子さん、逢坂蘭子さん。国語科教務室まで来ていただけるかしら。お話があり
ます」
何事かと国語科教務室へと向かう蘭子。
土御門弥生教諭は、その名が示すように陰陽師家とは縁があるらしい。
順子も呼ばれているところをみると、二人を呼んだ訳がありそうだ。
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