夢見の腕輪 其の質
戦いは一進一退を続けていた。
だが妖魔が見逃していたことがある。
ここが土御門神社だということである。
敷地内には、様々な呪法や道具立てによって常に清浄に保たれ、怨霊や物の怪、悪しき魔物など一歩も入れないようになっている。
白虎の攻撃をジャンプで交わして、地に足を付けた瞬間だった。
「呪縛!」
蘭子が素早く呪法を唱えると、妖魔の足元が輝いて曼荼羅の方陣が現れた。
身動きを封じられる妖魔。
「こ、これは……」
「気が付かなかったろうが、その足元には妖魔には見えない特殊な曼荼羅が描かれているのだ」
「曼荼羅?」
「しかもここは敷地の丁度真中に位置する。結界呪縛は一段と強力だぞ。極楽浄土に送ってやる、仏に帰依してその罪をあざなえ」
密教真言を唱え始める蘭子。
右手を前に水平に伸ばして、広げた指先を少しずつ折り曲げていくと、それにともなって方陣が狭まっていく。
苦しみもがく妖魔。
そこへ白虎が飛び込んで最期の一撃を与えた。
やがて断末魔の叫び声を上げて、光と共に消滅する妖魔。
白虎が蘭子の足元に擦り寄ってくる。屈み込んで
「ありがとう、白虎。おまえのおかげで奴を曼荼羅に追い込むことができた」
と、身体をやさしく撫でてやる。
「もう一つ、お願い。この子達の記憶を消して欲しいの。この神社で起きたすべての事を」
すると白虎は、それに応えるように吠えると、すっと姿を消した。
蘭子は立ち上がると、奇門遁甲八陣の結界を解く呪法を唱え始める。
そして両手を、パンと叩くと、すべてが元に戻った。
時が流れ、虫が騒ぐ俗世界へ。
老いさらばえていたリーダーも、元の姿に戻っていた。
ただ一つ消えてしまったものがある。
あのミサンガである。
妖魔が消滅したためだろうと思われる。
翌朝の大阪阿倍野橋駅プラットホーム。
通勤通学で混み合っている急行電車から、京子が飛び降りるように出てくる。先行く人々を掻き分けながら急ぎ足で駆けてゆく。
「あーん。遅刻しちゃうよ」
どうやら寝坊したようである。
注意力散漫になって、案の定誰かとぶつかってしまう。
「ごめんなさい」
大きな声で謝り頭を下げると、わき目も振らずにそのまま立ち去ってしまう。
ぶつかられた人物は、苦笑いしながら呟く。
「よほど、急いでいるんだな」
大条寺明人は何事もなかったように、人ごみの中へと消え去った。
予鈴の鳴り響く阿倍野女子高等学校。
一年三組の教室は今日も元気だ。
ワイワイガヤガヤと席にも着かずに談笑している。
そこへ京子が息せき切って飛び込んでくる。
「滑り込みセーフ!」
恵子が右手を高々と挙げて宣言する。
「ビリッケツだぞ」
「へいへい」
肩で息をしながら自分の席に鞄を置く京子。
「今日も寝坊ですか?」
「深夜映画かしら」
「まあね……」
と、頷く視線の先に自分の手首が目に入った。
じっと見つめたまま動かない京子。
「あれ?」
何かを忘れてしまったような、何かが足りないような……そんな感情が湧き起こる。
しかし、
「しっかりしなさいよ。授業中に居眠りしなさんなよ」
背中をポンと叩かれて正気に戻る京子。
「大丈夫だってばあ」
笑って返す京子。
そんな様子を斜め後方の席から蘭子が見つめている。
妖魔とミサンガが消滅して、人の記憶からも消し去られている。
何事もなかったように時が過ぎ去ってゆく。
蘭子と妖魔との戦いも人知れずに、日夜繰り広げられていることも知らずに。
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